テスト記事:
村上春樹の小説「ドライブ・マイ・カー」の作中人物の家福(かふく)は、所有車であるマニュアル・シフトのサーブ900コンバーティブルの専属運転手を探しているとき、渡利(わたり)みさきという20代の半ばの女性を、知り合いの自動車修理工場の経営者の大場から紹介される。
運転の腕は確かか、と家福に尋ねられた大場は、「女性にしてはとかそういうんじゃなくて、ただひたすらうまいんです」と太鼓判を押し、みさきは家福が課した簡単な実技テストに合格して俳優である家福の運転手になる。
「大場の保証したとおり、彼女は優秀なドライバーだった。運転操作は常に滑らかで、ぎくしゃくしたところはまるでなかった」と家福は述べる。
「道路は混んでいて、信号待ちをすることも多かったが、彼女はエンジンの回転数を一定に保つことを心がけているようだった。視線の動きを見ているとそれがわかった。しかしいったん目を閉じると、シフトチェンジが繰り返されていることは、家福にはほとんど感知できなかった。エンジンの音の変化に耳を澄ませて、ようやくギア比の違いがわかるくらいだ。アクセルやブレーキの踏み方も柔らかく注意深かった」
みさきは「エンジンの回転数を一定に保つことを心がけているようだった」というところを読んで、彼女が、もっとも有効なトルクが発揮される回転域、すなわち「トルク・バンド」内にエンジン・スピードを保つためにギア・チェンジを繰り返していた、と理解する読者は自動車通である。みさきがレヴ・カウンターに目をやる「視線の動きを見て」家福はそれを理解したわけだけれど、自動車にかんしてかれが、かなり踏み込んだ知識を持つ人物であることがわかる。というか、村上春樹がそうなのだ。ちなみに、サーブ900が積んでいた2リッター4気筒ターボの場合、トルク・バンドはおおむね3000rpm近辺にあったはずだ。クルマが好きな読者は、小説冒頭近くのこのあたりで、家福(ということは村上春樹)にたいして、たちどころに共感をもつにちがいないし、じっさい、僕もそういう読者のひとりであった。